【君たちに伝えたいこと】 日野原重明  小6の教科書を学びそびれた娘へ中学の先生から

 

 

ある日、学校から帰宅して「すっごーーい 感動の授業だったんだよ!」と授業面白いー!と帰ってきました。

そして見せてくれたプリントが あとで記している【君たちに伝えたいこと】です。

「小学校の先生方が本当はこれだけは授業をしたかったのにと残念でたまらなかったんだって!だから中学の先生がこれ、授業してくれたんだよ。」と娘

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2020年の3月小学校6年生だった娘は コロナで学校が休校のまま卒業式を迎えました。

(写真は全く関係なく 長男の小学校6年生の頃の海遊び)

その頃、中学入試を終え、ホッとしている時期のはずが・・・

実は我が家、娘が行きたくて仕方がなかった中学があり、そこは外国人、帰国子女、日本人と混ざっている学校で、日本人枠20名で 入試の15倍とか20倍とかの中学校でした。

そのための勉強をずっとして準備をしていたのですが、結果は番号があった!!・・・のですが

「補欠合格者」というところに番号があって、辞退者が出たら入学を許可されるという状況・・・でした。

「大丈夫、電話あるよ!」と何人にも言われながら 待つこと約8週間。喜べないし泣けないし、「打ち上げ」もできないという時間。

外国人30名、帰国子女30名、日本人20名の学校 あそこに行けたら、 中国語もしたいんだよね♩

娘の親友は合格してたから、それが何より嬉しくて一緒に通いたいんだよね♩

待機中彼女の気持ちは 喜ぶに喜べない。。微妙そのもの。。

はて、入学許可は叶うのか?どうなのか?

非常に不安定なまま 「補欠合格の補欠ってなによ!落とすなら落としてくれぃ!」とかって母の私はモヤモヤしながらも過ごしたコロナの時期でした。

そうして日々は過ぎ、この日までに連絡がなければ合格の願い叶わず・・・の期日の3月31日が過ぎ

結局「ご縁なし」

やっと待つ時間がおわった!とホッとしたことは忘れられないです 😭 

それで急いで地元の学校への制服を用意し、諸々整えて通い始めた。 とそんな具合です。

こんな前置きはいいとして、

コロナで学校が始まったのは6月になってから、ようやく始まった中学での授業。

「もうこんな文章 私すごい好き!もうすごい!こんなの書ける人ってすごいよねー 95歳だもんね!感想文書く!ママも読んで!おにいちゃんにも送ろうかな♩」

ようやく学校が元に戻ってきて、給食も再開して、生き生きと通う姿にホッとしている私です。

たっぷりとあった時間の中で私自身も心境の変化がたくさんあったこの3ヶ月でしたが、この文章から改めて学び励まされたことも、また大きくありました。

【時間というものは、ただの入れ物にすぎません。

そこに君が何をつめこむかで、時間の中身、つまり時間の質が決まります。】

 

書かれた当時は95歳だったという日野原さん。

「寿命」という時間の使い方について、子どもたち向けに書かれたメッセージの一文

時間というの箱に、どんな経験を入れるかはその人次第。
 
ただぼんやりと生きるのか、
その瞬間の楽しさだけを入れるのか
充実感や達成感を入れるのか。
 
子供にも、私自身にとってもどんな経験で箱を満たしていくのか、どのように生きていくのか
 
 
小学校6年生の国語の教科書(東京書籍)の最後に載っています。
 
日野原重明さんの「君たちに伝えたいこと」

全文をこちらに記載いたします。

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【君たちに伝えたいこと】 日野原重明

君が今、12歳あたりだとすれば、95歳を過ぎたわたしの年齢は、君のおよそ8倍です。

時間の長さについてだけいえば、君が今日まで生きた年月を、

わたしはもうすでに8回もくり返してきたことになります。

 

さて、君のおよそ8倍長く生きているわたしから、

君に「寿命」の話をすることにしましょう。

 

「寿命」とは何かな。

「寿命」とは、生きている人のいのちの長さのことなんです。

 

つまり、その人にあたえられた、

生きることに費やすことのできる「時間」です。

 

それは、生まれたときに、 

「はい、君は日本人ですね。では、今のところ、日本人の平均寿命は何歳ですから、

何年分の時間をさしあげましょう。」

 

と、平均寿命に見合った時間を、

ぽんと手渡されるようなものではありません。

 

それではまるで、生まれた瞬間から寿命という持ち時間を、どんどん削っていくようで、

なんだか生きていくのがさみしい感じがしてきます。

 

わたしがイメージする寿命とは、

手持ちの時間を削っていくというのとはまるで反対に、

寿命という大きな器の中に、

精一杯生きた一瞬一瞬をつめこんでいくイメージです。

 

ぼんやり時間を過ごそうが、

何かに没頭して過ごそうが、

時間をどう使うかは、

ひとりひとりの自由に委ねられています。

 

もちろん、今の君の1日は、

学校の授業や塾やおけいこごとでぎっしりスケジュールが組まれているかもしれません。

 

それでも、その決められた時間を集中して過ごすか、居眠りしながら過ごすかは、君しだいです。 

その時間の質、つまり、時間の中身を最終的に決めているのは、

君自身だということです。

 

時間いうものは、

止まることなく常に流れています。

 

けれども時間というものは、

ただの入れ物にすぎません。

 

 そこに君が何をつめこむかで、

時間の中身、つまり時間の質が決まります。

 

君が君らしく、生き生きと過ごせば、

その時間はまるで君にいのちをふきこまれたように生きてくるのです。

 わたしがこれから先、生きていられる残り時間は、君に比べるとずっと短いでしょう。

 けれども、それだけにいっそう、

一瞬一瞬の時間をもっと意識して、

もっと大事にして、精一杯生きたいと思っています。

 

そして、できることなら、

寿命というわたしにあたえられた時間を、

自分のためだけに使うのではなく、

少しでも他の人のために使う人間になれるようにと、わたしは努力しています。

 

なぜなら、ほかのひとのために時間を使えたとき、時間はいちばん生きてくるからです。

 

君が生まれたときに、

君の周りにいた人たちがどんなに幸せに包まれたかを、

君は想像したことがありますか。

 

小さな君が笑うたびに、

きっと君のそばにいただれもが、

思わずにっこりと微笑み返したことでしょう。

君が体いっぱいで泣いていれば、

そばにいた人たちは、

どんな用事で忙しくとも、

その手を止めて、

君のもとにかけ寄ったことでしょう。

 

そうやって君のお世話をすることが、

そばにいた人たちには時々とても疲れてしまうことがあっても、

そうすることはそばにいた人たちにとって、

ほかの何ものでも味わうことのできない喜びでもあったのだと思いますよ。

 

だからどんなに忙しくても、

疲れていても、

小さな君のためなら、

そばにいた人たちは精一杯尽くしてくれたのです。

 

なぜ、そうやって君を世話することで喜びが湧いてくるのか。

そしてどんな喜びだったのか分かりますか。

 

それは、自分の時間を純粋に君のために使っていたからこそ、

湧いてくる喜びだったのです。

 

ほかの人のために時間を使うということは、

自分の時間が奪われて、

損することではないのです。

 

それどころか、ほかのことでは味わえない特別な喜びで心がいっぱいに満たされるのです。

 

こんなに大きなお返しをもらえることなんて、

めったにありません。

 

私が自分の時間をほかの人のために使うことに努力している理由が、これで君にも分かったでしょう。

だから、わたしは君にも、ぜひそうしてみることをおすすめします。

 

 

さて、ここまで私は、寿命という時間の使い方についてお話ししてきました。

時間というもの時間というものはただの入れ物にすぎないのであって、

そこに君がいのちを注いで時間を生かすことが大事だという話をしましたね。

 

そして、自分のためだけでなく、

ほかの人のために時間を使えるようであって欲しいとお話ししました。

 

でも長い人生においては

自分の思うとおりにはいかないこともたくさん出てきます。

 

君が自分で選びとったわけでもないのに、

つらくて悲しいことにも出会わなければならない日が、この先にはあるかもしれません。

 

そんなときには、いつものきみのように、前向きにものごとを考えたり、

かっこよく過ごしたりなんて、とてもできなくなりますね。

悲しいときの自分なんて消してしまいたいと思うことさえあるかもしれません。

 

でもそんなときにも、忘れないでいて欲しいことがあります。

 

嬉しいときだけが、「君」ではありませんよ。

 笑っているときの君だけが、「君」では、ありませんね。

 悲しいときの君も、はずかしくて消えてなくなりたいと思うときの君も、「君」なのです。

 

だから、つらいときや悲しいときの自分も大切にしなければなりません。

 成功して喜びでいっぱいになっているときの君も、失敗してなみだを流す君も「君」です。

 

どんなときの自分も大事にすること。

 自分のことをいつも大好きだと思っていること、これはとても大切なことです。

 だから決して忘れないで下さい。

 

君が生まれてきて、

今ここに、こうして同じときを生きていけるということは、とても嬉しいことであり、

一つの奇跡のように素晴らしいことなのです。

 

今、私が君にこうして語りかけることができるのも、

君がそこにいて、私が、ここにいるからでしょう。

 

それは本当に素敵なことなのです。

 

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伝える形が変わっても。フォトジェニックではなくなっても。

誰かの人生に役に立つことができるということは幸せなこと。

誰かに時間を使うって素晴らしいこと。

想いを伝えることができる 強い心と丈夫なからだを作る食事作り。

お料理の仕事をずっと続けていけたらなと改めて思いました。

 

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